食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、、、など、
「秋」はいろいろなものを楽しむことに適した季節ですね。
そんな秋もいよいよ終わりとなりました。
今回のコラムは「私の妄想の秋」のお話をしてみます。
旧暦の1018年10月16日。
この日の1000年後は2018年11月23日でした(つい1週間前ですね☆)。
1週間前に1000才をむかえたとされる有名な歌を皆様はご存知でしょうか?
それは遥か昔、平安時代に栄華を誇った藤原道長による「望月の歌」です。
この世をば わが世とぞ思ふ望月の
欠けたることも なしと思へば
小さい頃から日本の歴史が大好きだった私には、
夏休みに毎日放送を楽しみにしていた歴史番組がありました。
そこで取り上げられたのが道長のこの歌でした。
それ以来、私はずっとこの歌を忘れることができません。
この歌の一般的な現代語訳としては、
「この世は自分のためにあるようなものだ。
満月(=望月)の欠けることがないように。」
となります。
さて、この歌を道長はどのような思いで読んだのでしょうか。
道長がこの句を詠んだ当時、彼は自身の三人の娘を天皇の后に立てました。
一家に三后が立つというのは前例のないことで、
如何に道長の力が強かったかが分かります。
この歌はその道長の三女である威子が、
後一条天皇のもとに嫁いだ際の饗宴の席で読まれたものです。
小さいころ(小学生くらいのときでしょうか)、
この歌を聴いた私には道長がとてもかっこいいい人に思えました。
この世を自分のものと思うことができる、その姿に憧れすら抱いたものです。
自分に自信が持てず引っ込み思案だった私には、
道長みたいに堂々と胸を張ってこの世は自分のものだといつか言えるようになりたい、
そう思ったものです。
しかし時がたち大人になるにつれて、
その感情のほかにもいろいろな感情や思いを抱くようになりました。
約20年がたった今この句から感じるのは「寂寥感」です。
藤原一族が政治の実権を握り栄華を誇った平安時代、
一族の中での権力争いは激しいものだったと考えられます。
道長はそもそも藤原兼家の五男(四男説もあり)で、
数多いる藤原一族の中で長となる立ち位置からは少し離れた人でした。
そんな中で一族の長となるまでには数々の出来事があったはずです。
(ここではその詳細は省きますね)
絶対権力を求め登りつめた先で道長には何が見えたのでしょう。
頂点に君臨した後の景色。
私にはその景色が正直全く分かりません。
その景色を見てみなければこの歌が本当に意図するものがわからないのではないか、
そのようにも感じるようになりました。
月は満ちたのち、必ず欠ける。
大人になった私にはこの歌から、
自分の栄華がいつか終わることへのさみしさや不安を感じるのです。
道長や当時の時代背景に関して知識が乏しい中ですが、
なんだかそんな気がするのは私だけはないのではないでしょうか。
技巧を凝らし間接的に豊かな感情を伝え合う子ことが雅とされた当時において、
技巧を凝らさずストレートに紡がれたこの歌をきいて、
人々は道長をどう思ったのでしょう。
傲慢で尊大な人?
技巧を凝らした和歌を読めない無粋な人?
本当はどうだったのか今を生きる私たちにはわかりませんが、
そう思うとなんだか道長という人が近くに感じられます。
この歌を果たしてどんな気持ちで道長は詠んだのか。
答えのない問いに対して毎年その想像(もはや妄想でしょうか)は膨らむばかりです。
しかしその答えを本当の意味で知ることは、
道長に会えない限り決してできないのです。
答えがないというのは終わりのように感じられる一方、
無限の可能性が広がっているということ。
「もしかしたらこうなのかも」とか、
「こうだったのかもしれない」という想像が無限にできるということなのです!
事実(とされていること)の積み重ねである歴史の裏には
「もしかしたら起こっていたかもしれない可能性」がいくつもある。
その可能性に思いをはせてみると、
今まで見えなかった世界が見えるのではないでしょうか。
なーんて大きなことにまで考えが飛んでいってしまうのです。
これから先、年を重ねて私は道長の歌をどう感じていくのか。
楽しみでもありますが怖くもあります。
今後も一つの趣味となってしまった妄想をして、
様々なことに思いをはせていきたいと思っています。
きっとそれこそが自分の人生を豊かにしてくれる、そう信じています。
皆様も「妄想」、してみませんか?